2019年2月2日土曜日

ユリウス暦とは

ユリウス暦とは

紀元前46年にローマのユリウス-カエサルがローマ暦に代えて、エジプト暦を参考に制定した太陽暦です。
平年を365日、閏年を366日として4年に1回閏年をおきます。
1ヶ月の長さは奇数番目の月を31日、偶数番目の月を30日と定めました。ただし合計日数を365とするために、ローマ暦時代からの慣習で2月を短くし、29日としました。
ところが、4年に1回の閏年をまちがえて3年に1回おいたため暦日が3日遅れました。これを直すため皇帝アウグスツスは紀元前8年から紀元4年までの置閏を禁じ、紀元8年に閏年を復活しました。
この改正を記念して当時8月にあたるセックスティリスをアウグスツスと改め、日数を皇帝の名にふさわしく31日とし、代わりに2月から1日削って28日とし、また9月を30日、10月を31日、11月を30日、12月を31日と、現在と同じ形に定めました。

その年を何年とするかの基準を、現在行われているようにキリスト生誕に結びつけたのは525年でした。生誕の翌年を紀元元年と定めましたが、実際の普及は何世紀も遅れました。(ちなみに現在の研究ではイエスが生まれたのは紀元前4年頃であったろうといわれています。)
ユリウス暦はグレゴリオ暦が普及するまで使われました。

グレゴリオ暦とは

グレゴリオ暦とは

地球が太陽の周りを一回りするのにかかる時間は365.2422日といわれます。
とすると、1年を365日とするカレンダーでは約4年経つと日付が一つ進み過ぎてしまうことになります。
そこで4年に1回、366日の年(閏年)を設ければ1年の平均が365.25日となり、ずれは随分小さくなります。これがユリウス暦(後述)といわれるものです。しかしそれでも100年以上経てば1日遅れるずれがでてきます。
西暦1900年1月1日時点で365.24219878日。僅かずつ短くなりつつある。
そこでグレゴリオ暦ではさらに精密を期して1年の平均を365.2425日としました。つまり400年に平年を303回、閏年を97回としたのです。具体的には、4で割り切れる西暦年を閏年とするが、ただし100で割り切れるが400で割り切れない西暦年は平年とすることにしたのです。これでずれは大体3000年に1日遅れる程度ぐらいまでに小さくなりました。
いずれこのわずかなずれを解消するために閏年をさらに1回省く必要が出てきます。ひとつ考えられるのは西暦X000年のような切りのいい年を選んで、それを閏年とせずに平年とするやり方です。しかし実際にそれがいつ、どんな形で行われるかは学問的の他に政治的な問題もあって予断を許しません。
グレゴリオ暦は最も早い国でユリウス暦1582年10月4日(木)の翌日を10月15日(金)として始りました。日本では旧暦明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日を1873年(明治6年)1月1日として実施されました。
各国のグレゴリオ暦導入のおおよその時期は以下の通りです。各国のそれ以前の記録におけるオリジナルの日付はグレゴリオ暦によるものではないので注意が必要です。

1582年10月15日 イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド
1582年12月20日 フランス(1793年11月24日~1805年12月31日の間中断)
1583年 オランダのカトリック地域、ベルギー
1583年から1587年にかけ ドイツ、スイス、ハンガリーのカトリック地域
1700年 ドイツ、オランダのプロテスタント地域、デンマーク、ノルウェー
1752年 イギリス
1753年 スウェーデン、フィンランド
1783年 アメリカ
1873年 日本
1875年 エジプト
1912年 中国、アルバニア
1915年 ブルガリア
1918年 ソビエト
1919年 ユーゴスラビア
1924年 ギリシア、ルーマニア
1927年 トルコ

なお、グレゴリオ暦の1月1日は冬至の10日ほど後に設定されていますが、これは古いローマ暦からのいきさつによるもので、この日に天文学上の特別な意味があるわけではありません。農作業を始める時期Martiusの2ヶ月前で、ちょうど冬至を過ぎて少し日が長くなり始めた時期に当たります。